強欲と苦悩

むらいです。

沢山の事を同時にやるのってホントに難しいですよね。

作業にしても、思考にしても、並列処理を目まぐるしいくらいの速度で出来たらなぁ、なんて思います。特に最近は。

 

器用な人は「え?普通出来るくね?」って思うのでしょうか。

 

話が変わるようで変わりませんが、

それは所謂「愛情の分配」とやらにも似通った部分はあるわけで。

まあ後述のように有限だ、と自覚している時点でダメなのかも、とも思うんだけれども

要は1度に愛したいもの全部愛せるほどの器用さというか、無限の愛情を蓄えられる器や、生み出すことが出来る生産システムというか、何かそういったものが欲しかったりする、なんて話です。今日はそんなぼやきをしてみようかと思います。

 

どこまでいっても、ないものねだり、にしかならないのかもしれないけれど。

 

これはどうなのだろう。内的な観点なので他人のものはおろか、自分のものさえ可視化なんて出来やしないし、直感に頼るしかないのだが。

 

限りない愛情を注ぐためには、底の深い深い、それはもう下の方は真っ暗で何も見えないくらい深いような、そんな器が必要なのだろうか。

 

それとも、底はそんなに深くはないが、少しずつ配分することで、そのキャパシティを大きくみせることができるのだろうか。

 

はたまた、お金みたいに一定値まで蓄積されると、より上位の単位に変換されてスペースの節約が行われているのだろうか。この変換の繰り返しによって、深さを実現しているのだろうか。

 

いずれにしても、無限に湧き出る愛情を蓄えられるのなら、なんて素敵な器なのだろう。ぜひとも手に入れたいのだな。もう見落とさないように。

どこかで売ってないかな。手に入れ方マニュアルとか作成されないかな。

 

なんでこんな話を始めたのかというと、取りこぼすことが多いなと感じたからで。

取りこぼすというか溢れ出すに近いのだろうか。キャパシティの問題もあるけれど、生み出される側の問題でもある気がして。

 

その度に死んでいく彼らの中には、最も大事にすべきものが潜んでいたのではあるまいか、と思うわけです。

まあ、失ったものへの認知は正確では無いし、そもそも所有していたという実感すらないのだから、現在時点における自己への絶望が、その思考を助長しているに過ぎないのかもしれないけれど。

 

生み出された時点で把握しとけよ、なんて話かもしれません。

でも現世界同様、雑音交じりの不確実な心を読み解くのは困難極まりないのです。

たとえ、数十年の付き合いがあったとしても、です。

 

生産システム

「器」の方では、生産システムに困った様子はない、という前提で書きましたが、

実際はそんなことはないのです。

 

そりゃ無限に湧き出すものもありますよ、中には。それはそれで満足しています。

 

しかし、満足できない点もあるんですよね。

これは自分の人生観というか、一生をかけても絶対に達成したい目標というか、そういった話に近しいのですが。

要はそのための源泉を見失ってしまっているのではないかな、と感じているわけです。

 

少し前まではこんな風に有限だの無限だの考えるようなことはありませんでした。

「真に愛あれば、それ即ち必然の無限」みたいな感覚だったと思うんですけど、

心が貧しくなったのか、まったくもってその無限を感じることが出来ないのですね。

 

それを実感するたびに自分に嫌気が差すのです。

 

そもそも僕は無限を感じれらていたのだろうか。

ただそうであると思い込みたいだけではないのだろうか。

一時的に生み出されたものを過大に評価していただけではないのだろうか。

 

なーんて、ちょっと感傷的になってみたりもするんですが、なんにせよ遠い過去の産物です。手掛かりはあっても摩耗するし、匂いだって冬の寒さに溶け込んで行くのだろうし、現在と未来を見るしかないのはわかってはいるんですけどね。

 

ともあれ、そんな源泉を失って誰かを傷つけてしまうくらいなら、一定条件下で湧き出る生産システムが欲しいな、なんて思ったわけです。我ながら安直で馬鹿げています。

 

もし仮に何らかの形で際限なく生み出されたとしても、次なる問題が待っています。

配分先が単一になりがちなことです。

これは冒頭にちらっと記述しましたが、やはり複数の対象に同程度、もしくはすべてを全力で、というのがとにかく僕にとっては難しいなあと。

それを痛感せねばならないことも多々ありました。

 

何か(その1)が一番であるときに、同時に大切にしたい何か(その2)があったとして、果たして同じ情熱を流し込めるか?という問題なのですが。

まあ、、、難しいんです(2回目)。

そういう意味で並列処理能力の向上を願ってみたりするのです。

 

でもそんな器用に生きられなくてもいいのでは?と開き直り始めている部分も出てきているので、これは保留ですね。保留。

 

 

なんにせよ、生産システムの問題はどのみち解決しなくてはならないとは感じます。

枯渇しているのか、忘れているのかはわからないけど、少しずつでいいから取り戻せるようにしていきたいなあ。

 

 

 

 

 

でも多分そういう器とか、生産システムが欲しいのではなくて、ありあまる彼らの墓場を見つけたいのだろうな、僕は。

 

と書き終えてから思いましたとさ。

 

 

おしまひ

 

 

P.S. あんまり気にしてないけど、読者になってもらえたら嬉しいですね、多分。

 

変わりゆくものを愛せる強さを

もくじ!

誕生日おめでとう僕!

誕生日を迎えました。22歳です。

お祝いしてくださった方々、本当にありがとうございました。

Twitter、インスタ、line、電話など、様々な場所で温かい言葉をいただけて、とても嬉しく思います。

 

22歳。ゾロ目ですね。まあゾロ目に大した意味などは無いと思いますが、折角(?)なので持論展開をする前に、「2」に纏わる与太話でもしてみましょうか。

 

M少年の謎解き

 

小学校4年生くらいの時の話です。

当時クラスの中に、好きな女の子がいました。彼女は黒髪ショートカットで、前髪ぱっつん。ほっそりとして控えめな性格をしていました。

 

当時の僕は、今ほど色々なことを考えたりできるようなタイプではありませんでした。その特徴として、自分が好きだと思った人には、とにかく押して押して押しまくる戦法(?)を採用していたことが挙げられるでしょう。

 

そこに相手の気持ちなどは存在しません。自分の気持ちをひたすらアピールしていれば、いずれ両想いになるやろ!みたいな感覚だったと思います。

 

事あるごとに彼女に話しかけ(授業中にも関わらず!)、放課後も近所の公園で遊ぶ約束を(半ば強引に!)取り付け、少しでも彼女の中に自分を映し出そうと必死でした。

 

 努力の末、、

 

その甲斐あってか、彼女の好きな人は僕だ、という噂が聞こえてくるようになったのです(当時、僕の通っていた小学校は、一学年に2クラスしか存在しませんでした。

誰かが誰かを好き、とか誰かと誰かがけんかしている、などのちょっと背伸びして言うなら“ゴシップ"は瞬く間に拡散されていきました。みんな口軽すぎだろ!)。

そうなんですね、何故か上手くいっていたんですよ。僕の戦法。理由なんて全くわかりませんけどね。

 

それで、まあ、お調子者の僕は喜んじゃうわけです。自分の好きな女の子が、自分を好きかもしれない!ラブコメのわかりきったエンドロール並みのニヤニヤです。

多少ませたクソガキであれば、付き合うとかキスする、とか想像出来るのでしょう。しかし当時の僕は、超純粋のピュアピュアチェリーボーイ。

 

「お互い好きだとして、それがどうなるんだ…?」

 

謎が謎のままである以上、自分の中に渦巻く気持ちに居心地の悪さを覚え始めます。

葛藤と思慮の末、天才童貞、村井少年はこの謎を解き明かす唯一の方法を見つけ出したのです。それは、自らを両想いの状態に晒すこと。それしかありませんでした。

 

謎解きはホームルームの後で

 

ある秋の日。五限が終わった後。帰りの会

連絡事項の伝達。黒板に描かれる整った白文字。

騒ぐ男子。喚く女子。揺れるカーテン。落ちかけた光。

 

まっすぐに伸びた背と、凛々しい横顔。

少年の心臓は鳴り止みません。

 

深い赤色のランドセルに手をかける彼女に声をかけます。

 

「あのさ」

「なに?」

「おれ、お前の事好きなんだけどさ、お前はどう?」

 

我ながらとんでもないストレートですね。思い出しただけで顔が真っ赤です。

 

「好きだよ」

「えっほんと!!??」

「うん。でも番目かな」

「2番目?」

「うん」

「1番は?」

「〇〇(当時僕に、ありとあらゆる方法で嫌がらせをしてきた男の名前。話術に長けており、他人と大人を取り込むのが得意。自分の手は決して汚さず、人を使って間接的に攻撃をしかけてきた。犯罪の濡れ衣をきせられたこともある(ガチ))。」

「そっか…」

「うん」

「……」

「じゃあね」

 

少年は、ただただ滲んでゆく世界を眺めることしか出来ませんでした。

 

 

いかかだったでしょうか(?)

 

思えばこれが人生で初めての失恋でしたね。なんだよ2番って!!!

「純粋ゆえの残酷さ」は、しばしば免罪符になることがありますが、本当にそれでいいのだろうか、と思わざるを得ません。M少年の心、土砂降りだったんだぞ!

当時の事を思い出しながら書きましたが、もう10年以上前の話なので、どうしても正確でない部分はあると思います。許してください。

 

以上、2に纏わる与太話でした。

 

持論しかないけども

さて、話を戻しましょう。といっても何も話し始めてないですね。

改めまして、22歳になりました。めでたい。めでたい。

色々な方からお祝いをしていただいて、心から嬉しく思います。本当にありがたい。

 

昨晩寝るときに、年齢を重ねることについて少し考えてみました。

これまでもすべて持論でしたが、ここからも全力で持論です。

 

歳を重ねることとは?

 

多分歳を取るってことは、ショック耐性を身につけること、でしょう。

これを一般的には大人になる、などと言うのでしょうが、それは漠然とし過ぎてピンと来ません。

よく考えたら不思議で仕方がないことがたくさんあるんですよね。

どうしてあの失恋から立ち直れたのか。

どうしてあのどん底から這い上がってこれたのか。

どうして彼に対する怒りが今では0に近いのか。

 

そのショックを受けた当時は、まるで世界が終わるかのような気持ちでした。

しかしなんだかんだ言いながらも、歳だけは順調に重ね、気が付けば世界は輝きを取り戻している。不思議でなりません。

これは耐性が付いた、とも言えますが、時間によりその苦しみや悲しみが減耗されていったからとも言えるでしょう。そんなん当たり前やないか!そう思われますよね。

 本当に当たり前?

でも当たり前だと思っていいのは、

これから自分の身に起こる、どんな感情の起伏をも「いずれ嵐は去るのだ…」と仏陀顔負けの精神でやり過ごせる人のみだと僕は思います。

そうでなければ、あなたはその当たり前のことすら理解できていない事になるのですから。

これを当たり前だと理解するのであれば、これからどんなことが起ころうとも、いずれは減耗されて、気持ちが落ち着くことを正しく推測できるわけですからね。それなら感情的になる必要はないわけですし、まさに仙人!って感じです。

まあ、そんな簡単にいきません。それと同時に、耐性が付くもとい、減耗されることは決して当たり前のことなどではないのです。

 

事実に少しだけ感じる哀愁

僕は少しだけ、ほんの少しだけ、時間によって気持ちが薄れていくことに寂しさを感じました。

話のニュアンス的にはTheseusの船みたいな感じでしょうか。

あれだけ喜べたことが、嬉しかったことが、悲しかったことが、今では何事もなかったかのように、常識のように存在してしまっていて、時には笑い話になっていたりもする。少しづつ忘れて、少しずつ形を変えて自分の中に受け入れられていく。

これが人間が人間たる所以だ、と言われればそうかもしれないけど、これから起こることもきっとそうなっていくのだろうか、と考えてしまうと、こちらも少しだけ寂しいのです。

 

でもこれでいいのだとも思います。人は変わるし価値観も変わる。元より変わらないものなんて殆ど存在しないでしょうから。

 

結論っていうほどのものでもないけど

何が言いたいのか、というと

過去に起こったどんな嬉しいことも悲しいことも、苦しいことも辛いことも、

歳を重ねるごとに、もっといえば時間が経つにつれて、段々とその重みが和らいでいってしまうのだと思います。

だからきっと、これから起こる同じようなこと、抱く感情の波たちも、いつかは穏やかな揺れになっていくのでしょう。つまり本来の形とは、これまでと同じように、似ても似つかないものに変わってしまうのでしょう。

だからと言って世界を達観して、冷めた目で見るようなことはしたくないなあ、と、

いつか変わってしまうことが分かっていても、その結末が望ましいとは思えなくても、

今目の前にある何かを心から愛せる、そんな強さを持っていたいなと、そう思いました。

 

 

おしまひ(お祝いしてくれた方々、重ねてお礼申し上げます。本当にありがとう!)

 

後悔は消えないし、消えなくてもいいのかも

無性に過去に戻りたくなる時がある

「あの時ああしてれば」

「あんなこと言わなければ」

今の自分も少しは違ったんじゃないか?

我ながら愚問だな、と思う

どれだけ嘆いたって後の祭りなのに

 

無性に過去に戻りたくなる時がある

果たして現実逃避の末の思考なのだろうか

別に過去に戻ったからといって

何か特別な状況になるとは到底思えないのだ

ならどうして僕は過去に戻りたいと思うのだろう

 

無性に過去に戻りたくなる時がある

誰かに好かれるためだけに生きていた自分に

今の僕ならなんと声をかけるだろうか

評価の軸は常に他人にあって

そしてそれが心地よい、と

本気で思っている時期があった

 

自分がどうしたいか、ではなく

他人たちはどうしたいのか

それに合わせて頷いていれば何も困らなかった

自然と周りに人がいた

くだらないことでお腹が痛くなるほど笑えた

自分の生活を捨ててもいいやと思えるくらい大切な人が出来た

誰かの役に立てる、誰かの特別でいられる、

誰かに必要とされている、

僕はそんな自分が大好きだったのだろう

 

でもそんな僕は長く続かない

殺し続けても自我は決して死ななかった

僕でない僕を愛してくれた彼ら彼女らはいなくなった

僕でない僕がいなくなった僕は愛されなかった

 

偽物の自分に非があるのだ

そう思い始めたら

形容し難い気持ち達が止め処なく溢れ出した

 

本物を求めすぎていた

都合良く立ち振る舞う自分の頭の悪さに絶望した

新聞紙で作ったお札で宝石を買おうとしているのだ

上手い事見せたって

最後には見抜かれるのだ

 

詰まる所

信頼していなかったのは僕の方なのだ

僕は初めから彼ら彼女らを裏切っていたのだ

ステージに立つ前も、立った後も

いつだって欺こうとしていたのは僕だった

 

その事実に気付けなかったのも真実だ

これこそが本物だと思い込んでいたのだ

そして正しいと、疑いようのないものだと

勘違いしていたのだ

 

こんな紛い物を渡すのはやめよう

本物だけを送ろう

すぐには難しいかもしれないけど

いずれ出会うかもしれない

本物を愛してくれる人を愛そう

そして愛したい人を愛そう

心からそう思ったのだ

 

そう思える自分は

偽物の存在によって生まれた自分だと思う

嫌な気持ちなどはない

きっかけは何であれ

いまの僕を好きでいてくれる(?)人がいる

僕はあなた方に出会えて本当に良かった

 

 

そしてあなた達と同じ時間を過ごすといつも思うのだ

「初めからこうしていれば違ったのかな」と

 

 

そう思わずにはいられないからこそ

無性に過去に戻りたくなる時があるのだろう

 

 

 

 

 

おしまひ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪者とか正義とかよくわからんけど、自分に出来る形で。

2ヵ月前のあの日から、ずっと考えていました。

 

何が出来るのかと。

僕に出来ることなんて、本当に少ないだろうし

現時点では、出来るのかさえ不確定不確実だけれど

やっぱり僕は、現代の構図は容認出来ない。

そんなこと考えても仕方ない、とか意味ないって言ってくる人ら達がいることも十分承知の上で言ってるけど

それでも誰かが犠牲になるようなことはあってはならない、と強く強く思う。

人が多数の故意に殺められているその事実から、目を背けていいわけがない。

 

多くの場合、もしくは大きな確率で、その一人になることは滅多にないだろう。

しかし、自分がその一人になったら?家族なら?友人なら?最愛の人なら?

 

自分が大衆側だから、とか

自分は大衆にも属していないから、とか

そんな問題ではないと思うワ

 

あと何年かかるのか、何十年かかるのか

そもそも実現出来るのか、なにもわからないけど

僕は僕にできる最善の方法で、社会に対してアプローチしていきたいなっていう

 

 

そんな決意表明でした。

 

 

おしまひ

 

知名度抜群な万能薬への嫌疑

最近思うようになったのは

大きな時間の流れって何も解決しないのでは?ということ。

 

気持ち引き摺り期、友人知人をはじめ様々な方々から、「時間が全部解決してくれるよ」「新しい恋愛に進んで忘れよう」と声をかけていただきました。

 

かれこれ3年以上たちますが、何一つ解決してません。心も癒えていません。

 

初めは、僕が一般的に言う女々しいという部類に入るからこう思うのでは?と考えてみましたが、どうもそんなこともない気がします。

 

時間はただ目の前にある現実の輪郭を鮮明にするだけで、決して気持ちを忘れさせてくれるわけではないからです。

確かに大切な人の隣にいない自分を受け入れることはできるようになります。もう別の人の恋人になって幸せに暮らしていることも理解できます。逃れることのできない現実ですし、どれだけ願ったとしても超自然的な何かが起こるか、もしくは運命的な奇跡が起こらない限りは相手は戻ってこないのです。

それら全ての事実を受け入れられることは間違いないと思います。

 

しかし、だからといってその人への気持ちがなくなるとは限らなくないですか?書いていてただの屁理屈やんかって思う部分もちょっとありますが、少なくとも僕の場合は無くなってないなあと感じたのです。

 

別れ方とかにも依存するように思われますが、時間が解決するのはあくまでも自分の中の世界と現実との乖離を狭める手伝いなだけであって、決して相手への思いを忘れさせてくれるわけではないなって思ったわけです。

 

もちろんすべての人に当てはまるとは思ってないし、寧ろ何言うてるんやじぶんとも思われそうな気もするけど、失恋した人に対して「時間が解決してくれる」というのは個人的になんだか違和感あるよなあって話でした。

 

現実を認知することと相手を忘れること、気持ちが消えることはまるで別物……だけど、一般的には時間経過とともに気持ちも薄れていくよね!

ってことなんでしょうね(?)

 

 

いずれにせよ、お相手の方が幸せで元気でいてくれたらもうなんでもいいんですけどね

 

 

おしまひ

 

 

 

p.s. 僕も自分の幸せを考えたいお年頃になってきたので、一緒に先のことを考えてくれる人募集してますw(意訳:彼女ください)

 

 

 

揺らぎなのか、定常状態への移行過程なのか

大人になるにつれて

特定の感情が、かつてと異なった定義をしてしまうなぁと最近よく思う

 

詰まる所、好きが以前の好きではなくなってる事を自覚した気がするっていう話です

 

独り善がりの好きが

何の意味も持たない事も相手を不幸にしてまう事も痛いほどわかってしまったからなのか

 

今の好きは

言うまでもなく自分の気持ちなんだけど

相手に寄り添っていたい…みたいな

ちょっと大袈裟だなぁべつに大それた事いいたいわけじゃないんだけどなぁ

 

言葉じゃうまく表現出来ないけど

一番好きで一番大事にしたかった人と解ける前に気付きたかったなぁって心底思ってる

 

こんな解答は自己満足の真骨頂って感じするけど

少なくとも気付けないまま生きてくよりは良いのかなぁなんて思ったりして

 

3年間の足枷は厄介だなぁとしか思ってなかったけど、こんな形で1つの気付きをくれるとは思わなかったなぁ

 

好きな人が出来て

好き…なのか?うん…?みたいになったんだけど

その違和感というかなんというかって多分これなんだと僕は結論づけたよ

 

やっぱ好きは偉大

勉強もっとやろうと思えて

ワインにも詳しくなりたいと思えて

知識も沢山増やそうと思えて

人生が豊かになる方向へ勝手に導いてくれるみたい

これは楽観視し過ぎかも、僕らしくない

 
 

相変わらず胸は苦しいし夜は眠れないし

愛の正体とかわからんけど

好きな人に好かれる男になりたいぜ

 

 

おしまい